日時:2026年1月17日(土曜日)
午後2時〜4時
会場:京都市立芸術大学 C棟3階「講義室7」
参加者:25名
この二つのトピックは、いったいどう関係するのでしょうか?
「京都学派」とは、第一に西田幾多郎・田邊元を中心とする、大正から昭和の終戦まで活動した哲学者のグループを指し、さらには桑原武男がリードした戦後の京大人文科学研究所、木村敏に代表される京大医学部の精神医学者たち、さらには東洋史学の伝統や一群の経済学者たちを指すこともあります。いずれも「京都大学」ひいては「京都」という場所が、この「学派」に決定的な意味を与えています。明治以降の日本における「京都」は、近代化と西洋文化の入口としての「東京」に対して、近代西洋的な知識を日本・東洋的な精神といかにして結びつけるかという課題を担う場所としての意味を持ちはじめました。
一方「メディアアート」とは、近代テクノロジーをその産業的方向性とは別に、芸術表現という方向へと展開させる様々な試みのことを指します。テクノロジーは一見、諸文化に共通した中立的なものに見えますが、現在「テクノロジー」と呼ばれているものの根底には、近代西洋的な存在論、世界観、哲学・論理が潜在しています。それらは学術研究やその産業的応用のような合理的領域ではハッキリ意識されませんが、アートという場では姿を現します。その意味でメディアアーティストは──本人が意識するか否かに関わらず──否応なく「哲学している」のです。とりわけ日本を含む非西洋諸国のアーティストは、西洋的な論理を非西洋的精神といかに融合するかという、「京都学派」とパラレルな課題に立ち向かっていると言えるでしょう。(吉岡 洋)