日時:2025年6月14日(土曜日) 午後2時〜4時
会場:京都市立芸術大学 C棟3階「講義室7」
参加者:28名
この回は今年度「土曜の放課後」の中でも、いちばんチャレンジングな試みになると思われる。
ルネサンス思想は、前回少し話したプラトンによる『ティマイオス』の思想、この世界が幾何学的な対称性をもとにデザインされているという世界観に強い影響を受けていた。1494年、イタリアの数学者ルカ・パチョーリは、はじめて複式簿記を数学的に解釈する本を書いた。複式簿記の基本的な考え方は、すべての商取引を資産と負債の二面性から考察するという点にあるが、その背景には哲学的な世界観がある。
MMTというのはモダン・マネタリー・セオリーの略語で、現代貨幣理論と訳される。政府の通貨発行をもとに経済の仕組みを理解し説明しようとする理論である。いわゆる主流派の経済学理論とは異なっているが、私たちが当たり前だと思ってきたお金=貨幣とは何かという問題について、新しい展望を与える。その仕組みは、複式簿記によって説明すると分かりやすい。
正直10年くらい前までは、お金や経済のことなんて興味もなかったし、哲学や美学には関係がない、専門家がいるのだから自分は知らなくていいと思っていた。けれども、そうではなかったのである。そうした自分の中での思想変化も含め、経済を哲学から見るとどのように見えるかを考えてみたい。(吉岡 洋)
司会(植田) それでは時間になりましたので、ただいまから土曜の放課後の第4回を始めたいと思います。今日司会を担当します植田と申します。よろしくお願いします。今日は一応いつもどおり14時から1時間ほど吉岡先生のお話があって、その後ちょっと10分ほど休憩をして、後半質疑応答などをしていこうと思っております。終了時刻は16時予定ですが、そのあとに実行委員会のメンバーやサポートしてもらっているメンバーの告知をしていきたいと思っています。
今回のテーマは「イタリア・ルネサンス思想とMMT 現代貨幣理論」ということですが、ちょっと今ここもうなくなっちゃったんですが、このチラシの中では、前々回老子・荘子で、前回がプラトンで、今回この絵の中にはレオナルド・ダヴィンチが描いてあるんですけれども、どっちかというとこのレオナルドとかを支えたメディチ家とかの裕福な財政、そういったところとのつながりでお話が聞けるんじゃないかなと思っております。はい。それでは吉岡先生、お願いします。
吉岡 皆さん、こんにちは。今日はお天気があまりよくないんですが、よくいらっしゃいました。近況から始めると、先日東京の成城大学というところで開催された日本ヘーゲル学会大会という催しで講演を頼まれたので行ってきました。この講座の参加者の中からも二人もお越しいただいて、見慣れた顔もあったのでリラックスして喋ることができました。ところでヘーゲルという名前は、よく知らない人にとっても何か「怖い」という印象があるのかな(笑)。職場で「今度ヘーゲル学会で講演するんです」って言ったら、「そんな怖いところへ行って大丈夫ですか」とか言われました。ヘーゲルが怖いのか、ヘーゲル学会が怖いのか、それは難しいところですね。でも僕が所属している美学会だって、昔はけっこう怖かったです。
昭和の哲学系学会がどうして怖かったのか。この問題は、あらためて考えてみる意味はあるかもしれませんね。怖いということで言えば、特に19世紀ドイツ哲学系の学会です。怖いというのは、そこに深い意味を認められてきたということでもありますが、それは明治後半以降、19世紀ドイツの哲学が近代日本の知識層の中に受け入れられてきた歴史によるものだと思います。たんなる知識・教養ではなく、人生の意味、人間の生き死の根本に関わる思考だと見なされてきた。戦前はもちろんですが、戦後の1970年代頃までは、その影響はあったと思います。今だと70代より上の世代の人たちは、そうした雰囲気を知っているということです。ヘーゲル学会にはもちろん若い人たちもいるのですが、そうした雰囲気を感じました。
そうした雰囲気を実感して育った世代はいなくなりつつありますが、それはそうとして、何だかんだ言っても19世紀ドイツ哲学ってスケールがデカくて面白いんです。まず、何言ってるのかわけがわからない。現代思想のように、読者の問題意識に寄り添ってくれないんです。その中でもヘーゲルなんて、わからない思想の最たるもんでしょう。僕はそれを日常的に読んでいるんですけれども、この講座のテーマで言ったら、室井さんが最初のときに言っていた「迷子になる」という経験を、最も強烈にさせてくれるのが、ドイツ観念論、特にヘーゲルなんですよね。20世紀の哲学だってワケが分からないですけれども、そうは言っても同時代だから、何らかの理解の手がかりがある。ヘーゲルはそうした手がかりないんですよ。完全に突き放される。そういう経験をさせてくれる。
学生の頃はそうした哲学の難解さについて、自分はまだ未熟だから仕方ないが、大学の哲学の先生たちはさすがに分かっているのかと思っていました。でも自分がだんだん歳をとっていくと、偉そうに講義していた先生たちも、本当は分かっていなかったということが分かるようになります。でも先生という立場上、分かっているフリをしなければならない。そういう抑圧を背負った先生は怖かったね。自分は歯を食いしばって勉強したので、その苦労というか、読んでも読んでも分からなかった恨みがあるので、その分学生にも厳しくなる。体育会系クラブで先輩に死ぬほどシゴかれた学生が、自分が年長になると今度は後輩に対して地獄のシゴキをするみたいなことが、哲学系文化の中にもあったと思います。
一般に昔の哲学の先生たちは、講義を聞いている学生が分かろうと分かるまいと、好きなことを言っている人が多かったです。それは面白いと言えば面白かったんですが、学生たちを難解さで脅すようなタイプの先生は、僕は苦手でしたね。本人の個人的な問題が講義の難しさになっているような気がした。難解さが扱っている問題の本質的な困難から来るものならいいのですが、自分をエラく見せるためにわざと難しくしているような人もいて、そういうのは信用できなかったです。
ヘーゲル学会で面白かったのは、落語家の笑福亭羽光さんが聴きに来てくれたことです。どういう経緯でそうなったのかというと、代麻理子さんというユーチューバーの人がやっている「未来に残したい授業」という番組に僕は時々出演してるんですけど、そこで羽光さんとお話しする予定があったんです。羽光さんと僕は直接面識がなかったのですが、彼が代麻理子さんから僕の成城大学のヘーゲル講演を聞いて、どんな話をする人なのかと思って訪ねてくれたのですね。羽光さんはとても読書家で勉強熱心な人で、ヘーゲル学会に行くことも怖くなかったんです。廊下を歩いていたら「あ、吉岡先生ですね」と自己紹介され、ビックリしました。懇親会にも参加して「ヘーゲル、読んだことなかったから、2時間予習してきましたけれども、やはりだめでしたね。ヘーゲルをなめてました」と言っていた。彼の落語も面白いですから、機会があれば聴いてみてください。
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さて今日は「イタリア・ルネッサンスとMMT」という、これまでやったことのないテーマの組み合わせを試みました。そんな話できるのかと自分でも疑ったのですが、そうやっていわば自分を追い込むというやり方を、時々やるんです、僕は。考えるとそんな話できるわけがないと思うから、あまり深く考えないことにしています。現場の偶然性という要素がないと、話をしても面白くない。落語で三題噺ってありますよね、お客さんからその場で三つ話題をいただいて、それを即興でつなげて話をするという、あれに近いような追い込み方です。
だけどもまったく手がかりがなかったわけでもない。ルネサンス、特に14世紀、15世紀のイタリア・ルネサンスから、ふつうは何を連想するかというと、建築とか美術の偉大な傑作ですよね。レオナルドやラファエロやミケランジェロのような天才たちが活躍した時代というイメージです。壮麗な建造物もたくさん造られた。ようするに、文化面だけ見ているんですね。しかし冷静に考えてみたら、あんなにたくさんの人たちが世に出て、名前や作品を残したというのは、ただ優秀な人たちがいたというだけでは、そんなこと可能にならないわけですよ。絵画、彫刻、建築、みんな制作にはお金がかかるんですよね。だから天才がいるだけでは絶対に無理で、そういう人たちを見出し、盛り立てて、資金を与える人がいなければいけない。そのためには安定した財政基盤が必要で、それがあったのがイタリア・ルネサンスが存在した大きな理由だと思います。当たり前のことなのだけど、芸術や人文学を研究する場合、哲学や美学を研究する人たちも、あまりお金の面を考慮しない傾向があると思います。僕自身もそうでした。だから今日は芸術や思想とそれを支える経済の話をしたいんです。
その前にルネサンスについてですけれども、資料の最初のところに書かせてもらいましたが、「ルネサンス」という言葉自体は知らない人はいないと思います。ほとんどの人は、イタリア・ルネサンスを思い浮かべるし、ちょっと美術の好きな人なら、いや、イタリアだけじゃなくて北方にもありますよ、デューラーとか、北方ルネサンスの方が深みがあっていいね、なんて言う。だけど、よく考えてみると「ルネサンス」というのはそもそもどういう概念なのでしょう。
そもそもこれは何語なのか、考えてみると面白いと思うんですよ。日本語では、昔は「文芸復興」というふうに訳されたことが多かったと思います。今はほとんど訳さなくなって、文芸復興というとちょっと古風な感じがする。それから、美術史を離れても「ルネサンス」という言葉は何となくいいイメージ、華やかなイメージがあるので、建物とか事業名とかいろいろな名前に使われることもあります。JR京都駅からこの会場に来る途中に、京都駅前のロータリーの東側の三角形の土地の部分に立っているビルがありますが、あれは「ルネサンスビル」というんですよね。1986年に建ったらしいんですけれども、京都駅ビルが3代目から4代目の、つまり今の京都駅ビルに建て替わるより10年ぐらい前だと思います。京都駅前がやがて再開発で生まれ変わるぞ、というようなイメージで命名されたのではないかと思います。
ルネサンスとはつまり再生、蘇るというようなことですね。ルネサンスってそもそもどういう言葉かというと、これはフランス語で、「ネサンス(naissance)」というのが生まれること、英語で言ったらbirthですね。それに「もう一度」という意味の「ル(re)」が付いて出来た造語です。古代ギリシア・ローマの文化が復興するという意味で「文芸復興」と訳されたのです。この訳語を作ったのは誰か正確に知らないんですけれども、多分林達夫じゃないかな。それ以前にも言葉はあったのかもしれないですけれども、林達夫という歴史家が1933年に『文芸復興』という本を出して、これが広く読まれんです。それが「文芸復興」という言葉が広がったきっかけだと思います。
現代の語感では「復興」というと何か、災害とかで壊れたものがもう一回再建されるみたいですけれども、ルネサンスというフランス語のイメージからすると、復興というよりは再生という感じですね。では、このルネサンスという元の言葉を作ったのは誰かというと、それはわかっていて、ジュール・ミシュレ(Jules Michelet, 1798-1874)という人です。19世紀フランスの有名な歴史学者で、何十年にも渡って膨大なフランス史を書いたんですが、その中でフランソワ一世(1494-1547)時代の文化を「ルネサンス」という言葉で呼びました。これが最初です。しかし現在私たちがルネサンスという言葉を広く用いるきっかけになったのは、スイス人のヤーコプ・ブルクハルト(Carl Jacob Christoph Burckhardt, 1818-1897)という人がミシュレよりも少し後に書いた『イタリア・ルネサンスの文化、試論』という本がきっかけですね。変なタイトルですが、元のドイツ語でも Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch というタイトルで、「一つの試論(ein Versuch)」って書いてあるのね。これが広く読まれたために、このルネサンスという言葉がかなり拡張した意味で使われるようになったということなんですね。
高校での世界史の授業では、もちろんルネサンスのこと習うし、皆さんもそうだと思いますが、僕の高校時代は1970年代で、その時はルネサンスと言えばイタリア、それから北方がちょっとみたいな感じで、そういう歴史観で教わりましたが、現代の歴史学では、ルネサンスというのは15世紀イタリア中心で考えるのはおかしいというふうに思われています。ルネサンスはもっと早くから起こっていた。一番早い時では、フランク王国のカロリング朝で、「カロリング・ルネサンス」という古代文化復興運動が起こったと言われています。具体的にはどういうことというと、イタリアの場合には彫刻とか絵画とか建築とか、目に見える文化財がいっぱい残ってますけれども、それに先行するルネサンスというのは、主として古代文献の翻訳を中心とする、もっと基礎的なレベルで起こっていた。
ヨーロッパというのは、古代の世界が終わってから、ゲルマン人がキリスト教化されたキリスト教世界になって、中世という時代になります。ヨーロッパの中世の基本はキリスト教だから、古代の文化に対しては距離をとります。古代というのは古い文化すべてという意味ではなくて、古代ローマ、そしてギリシアですね。ローマは途中からキリスト教化されますけれども、ギリシアはそれとは違う全くの異教の世界です。言葉も文字も違う。中世のヨーロッパではギリシアの知識はかなりの部分忘れられていました。ギリシア語で書かれた文献はふつうの人は読めないし、伝わっていない。
それに対してラテン語というのは、知識人は一応読めるということになっていました。実はあまり読めない人もいたんですけれども、共通語として使われていた。今の世界で言ったら英語に相当する感じですね。違う点は、英語は母語話者がいて彼らは圧倒的に有利な立場にありますが、ラテン語はローマ時代の言葉だから、中世には母語話者はいない。とはいえ、イタリア語などラテン系言語の人々にとって有利であることは確かです。とにかくどんな言葉で書かれたものでも、ラテン語に翻訳されていたら多くの人が読める。ところがギリシア語文献の中にはラテン語に翻訳されていないものがたくさんあったのです。
一般に中世の時代には、古代ギリシアの知識は、キリスト教圏よりもアラビア語世界の方がよく保存され、研究されていました。例えば今のスペインとポルトガルのあるイベリア半島は、8世紀から15世紀の終わりまでイスラム世界でした。コロンブスの新大陸発見と同じ1492年にグラナダが陥落して、イベリア半島がもう一回キリスト教圏に戻ります。この過程をレコンキスタと言います。スペイン語でコンキスタ(conquista)は「征服」、英語のコンクエスト(conquest)で、それを再び(re)やるのだから「再征服」ですね。征服というと戦争みたいですが、800年もかけてやるのだから、混血や文化的混合を伴うゆっくりしたプロセスです。しかも、ウマイア朝のイスラム国家の支配はとてもユルくて、税金さえ払えば異教徒も共存させるのです。古代ギリシア語文献だけではなく、ユダヤ教やキリスト教の聖書もアラビア語に翻訳されて詳しく研究されていました。そこに蓄積されていた知識をキリスト教世界が再発見し、それがルネサンスの起動力になるわけです。
そうした古代文化の回復というのが、15世紀のイタリアだけで始まったんじゃなくて、それに先行するカロリング朝のルネサンスとか、それから東のビザンツ帝国(僕らの時代には「東ローマ帝国」と呼ばれていた)のマケドニア朝とか、さらに後のパレオロゴス朝末期の15世紀にも、ギリシア語→ラテン語の大規模な翻訳運動として起こるんです。そうして西ヨーロッパに古代ギリシアの知識がもたらされ、それがものすごい知的刺激を与える事になります。では、それまではギリシアのことを何も知らなかったのかというと、そんなことはなく伝わってはいたんですけれども、限られたものでした。プラトンの『ティマイオス』や、アリストテレスも部分的には知られていて、一定の権威を持っていました。しかし古代ギリシア思想は全部伝えるとまずい点もあるんですね。キリスト教の教義と矛盾することがいっぱい出てきますから。ルネサンスというのは何世紀もかかって進行してきて、それが最終的にイタリアで統合されたと考えるのが、いちばんふさわしいのでないでしょうか。
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さてイタリアルネサンスというと、たいていは文化的な達成物ばかり注目されるんですが、そういう華々しい文化が実現されるためには、財政基盤が必要です。その財政基盤の大元は何かというと経済活動、交易です。レコンキスタというのは国土を回復しただけではなくて、たとえばそれまでイスラム勢力が支配していた地中海貿易の権益を奪い取ることも意味していました。それによって莫大な富が手に入るんだけれども、そういうふうに事業が拡大していくと、それで大金持ちになれるというわけでもないんですよね。この時代のお金というのは貴金属ですから、金貨、銀貨です。金貨も使われてはいましたけれども、15世紀ぐらいになると、世界的に流通する中心的な貴金属は銀になっていきます。お金というのは、多くなるほど悩みも多くなるんです。お金の流れを管理する必要が出てくるからです。
さて、たとえば僕が当時のイタリアの豪商で船をいっぱい持っていて、それで中近東とかアジアから、ヨーロッパで高く売れるような香辛料とかいろいろなものを輸入して商売していたとしても、代金はいったいどうやって支払うんですかという問題があります。銀貨のような物理的実体の貨幣しか決済に使えなかったら、とても不便でしょう。お金を運ぶ途中で賊に盗られるかもしれないし、盗賊でなくても自分の仲間が持ち逃げするかもしれませんよね。船だって遭難するかもしれないし、海賊に積み荷を奪われる危険もある。そうすると保険をかける必要も出て来ますね。そういうふうにリスクヘッジしていくためには、信頼のおける貨幣管理システムが必要です。それをやってくれるのが、今で言えば銀行ですね。そうした、お金の流れを管理運営するシステム全体が発達していったというのが、イタリアルネサンスを下支えしていた、文化の下部構造なんです。
つまり文芸復興といっても、文芸は精神だけでは復興できないということです。文芸を支えたのは財政であり、財政管理を可能にしたのは会計のシステムなんです。銀行の存在も大事なんだけれども、ここで注目してみたいのは簿記、ブックキーピングです。簿記というのは、お金の出入りを記録することですから、私たちが個人的に付けている家計簿とか小遣い帳も、簿記の一種ではあります。個人的なお金の出入りを管理するんだったらそれで十分なんですけれども、大きなビジネスを動かすには、あれではだめなんですよね。そこで複式簿記というのが採用されるようになります。経理の仕事とかをされたことがある方はなじみがあるかと思います。私たちが何も勉強しなくても、収入と支出を記録していって残金の増減を見るのは単式簿記と言いますが、それに対して複式簿記というのは、お金の動きをその原因となるアクションと、その結果何が起こったかということを両方同時に記載していくものなんです。
複式簿記は、ちょっと勉強しないとできないですね。それを採用したことが、イタリア・ルネサンスを支えた経済、財政を可能にした秘密だと思うんです。そこで重要な人物として、フランチェスコ・ダティーニ、それからコジモ・ディ・メディチつまりメディチ家のコジモ、それからルカ・パチョーリという人を簡単に紹介したいなと思ったんですね。それからそうした時代の会計の思想を考える時、宗教的な背景を無視することはできません。もちろんキリスト教カトリックの世界観と会計との関係を頭に入れておかなきゃいけないし、そこに文芸復興でギリシアの知識が回復されたということだから、ギリシア哲学の中でもプラトン、それに影響されたプラトン主義、プラトニズムが重要です。現代の私たちは会計というのは合理的な数値計算であって宗教や哲学とは関係がないと考えがちですが、実はそうではないんです。
これがフランチェスコ・ダティーニです(左下の赤い服)。イタリア・ルネサンスでいうと比較的初期の段階に活躍した商人です。今で言うと会計士ですね。祭壇画の聖母子像ですが、上の方に聖母子と聖人たちが描かれて、その下の方にやや小さく聖書中の登場人物ではない人が描かれることがありますね。寄進者です。この絵を描かせるためにお金を出した人ですね。この絵では、寄進者の中にダティーニがいる。どうして自分自身を聖母子像の中に書き込んでもらうかというと、自分がキリスト教の信仰に帰依していることを示すためです。彼は会計士ですからお金の計算をしているわけですが、キリスト教カトリックにおいては、お金の計算なんて卑しいことなんです。きちんと計算してお金儲けをすることにかまけているような人は、天国に行けない。
お金が余っているんだったら教会に寄付しなさい、そうすれば天国に行けますよ、という価値観なんです。蓄財は罪なんですね。キリスト教の「七つの大罪」の中にも強欲の罪というのがあって、それは金銭欲としても解釈されていました。
ダティーニはとっても真面目な人で、財政の管理のために複式簿記を取り入れて、それを非常に熱心に運用して商売を成功させたんです。ちっとも罪深い人じゃないですよ。だけど、そうやってお金を貯めるのは罪だから、その罪を償うためには、やはり何らかの信仰に寄与するようなこともやらなきゃいけない。ひとつは寄付、喜捨をすること。貧しい人を救うために寄付をしたり、教会に寄付をしたり、そういうことなんですよね。これがキリスト教と会計というものの関係の一面なんですけれども、しかし、もうひとつ別な面もあるんですよ。
つまり、お金の出入りを正確に計算して、帳簿というのは最後に決算をして、そこで決まる。つまり儲けと損が決まる。これは比喩的には、神様が人間の行いを見て、その人の善行と罪を判定するのに似ています。誰でもちょっとは悪いこともしている。でもこれぐらいだったら、善行をこんなにしているから、悪いこともまあこれぐらいだったら、天国OKですよって最後に「決算」する。決算というのは、宗教的な意味では「最後の審判」ですね。最後の審判、神様自身はしないですけれども、神様のお使いである天使ガブリエルが、天秤で罪の重さを測るでしょう。これは要するに、会計士が簿記をつけて損益の計算をしているのと似ているじゃないですか。そういう類比が成り立つ。ということはつまり、会計を公正にやるということは、神の公正さにつながるものであって、決して罪深いものではないということです。こうした考えももう一面ではあるんですね。
私たちはよく、中世から近代以前のキリスト教の世界というのは、お金儲けを良いこととされていなくて、近代のプロテスタンティズムになってから、勤勉に仕事に励んで蓄財をするのは良いことだというふうになったというふうに、つまりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』みたいに、資本主義の精神はプロテスタンティズムと相性が良いのであって、カトリックとは合わない。だからカトリック諸国は近代化に遅れたみたいに考えるけど、本当はそんな単純なものじゃないんですよね。イタリア・ルネサンスを見れば、このダティーニのような人もいて、カトリック教義の枠内で会計の公正さと神の公正さというものをちゃんとパラレルに考えている人がいたということですね。カトリックと資本主義は論理的に矛盾するわけではありません。
まとめるとこんな感じかな。キリスト教では、お金の計算を卑しいという価値観はもちろんありました。これがベースなのですが、そんな単純で一面的なものではない。確かにお金の計算が卑しいという価値観の中では、そればかりやっている人は善行を積んだり、喜捨によって自分の罪を相殺する必要がある。それが極端になったものとして、マルティン・ルターが反対した贖宥状、免罪符というのもありますね。お金によって自分の罪を償う。確かにそういうこともあるが、同時に、会計の公正性を保証する監査というものが、神の公正な審判ということと重ねて考えられていたということも重要なんです。
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複式簿記って一般にはあまりなじみがない。僕も10年ぐらい前までよく知らなかったです。言葉は聞いたことあるけど、何もわかっていなかった。それどころか、会計なんてそもそも何の興味もなかったし、その専門家がいるんだからいいやと思っていたんです。自分のやっている思想や哲学の研究とは全く関係ないと思っていたんですね。ところが十数年前に、そんな考え方は根本的におかしいだろうと思い始めたんです。哲学が財政と関係がないわけがない。それで経済的なことを学び始めたのですが、複式簿記は結構難しいです。予備知識なしに勉強し始めると、これはいったい何をやっているのかわからないんですよ。苦労した人も多いと思います。最初が難しいんですよ。慣れてくるとそんなに難解じゃないんだけれども。難しさの原因は、ひとつには日本語の訳語にもあるんですけどね。その点は哲学と同じです。
複式簿記というのは、こういう損益計算書とか貸借対照表という、こういう左右対称の図面を描いて、左側と右側にすべての経済的なトランスアクションを分類していくんですね。左側を「借方」と言って、右側を「貸方」と呼びます。まず、これがわからないでしょ。何を貸して、何を借りるのか。これは憶えられないから、ネットの簿記講座などではよく、左に書く借り方の「り」は左側にはねるでしょそれに対して貸し方の「し」は右側にはねるでしょ、などと書いてある。苦労してますね。
借方、貸方というのはもちろん訳語です。デビットカードってありますよね。それに対してクレジットカードもある。そこから理解すると分かりやすいかもしれません。デビット(debit)を貸方、クレジット(credit)を借方と訳したんですね。それ以外のいろいろな項目、勘定科目というんですけれども、その名称も日本語に訳しましたが、なかでも一番わかりにくいのが、この借方と貸方です。誰がこんなわかりにくい訳語を作ったかというと、福沢諭吉です。デビットとクレジットには借り貸しという意味はないのですが、たぶん福沢諭吉はこれを資金を提供する側の立場から見ているんですよ。つまり、銀行から見ている。銀行から見ると、借りる方に相当するのが資産で、貸す方に相当するのが負債になるんです。また全ての取引きをこのデビットとクレジットに記録してゆくことを「仕訳をきる」といいますが、これも英語はジャーナリングという言葉で、「仕訳」という言葉は普通にものを分類する「仕分け」と混同して紛らわしいです。簿記を勉強する人が最初こうした言葉でつまづくことが多いようです。哲学的概念の日本語訳がやたら難しいのでそこでつまづくのと似ています。
それはともかく、金勘定と宗教の関係という話に戻ります。これはロヒール・ファン・デル・ウェイデンの『最後の審判』です。ルネサンス絵画と言ってもイタリアではなく北方ルネサンスですね。絵画を見る時には、登場人物たちが持っている物に注意してください。中央の天使は天秤を持っています。天秤はギリシャの場合は公正性のシンボルになったりしますが、世俗的な文脈では金貨の重さを測ったりする。金の含有量を減らして貨幣を濫造することがよくあったからです。その同じ天秤がここでは人間を測っていますが、体重を測っているのでありません。これは最後の審判で、墓から蘇った使者たちの、その罪の重さを測ってるんですね。魂の価値を測って、それを天国と地獄とにいわば仕訳をきっているわけです。
ちなみにキリスト教の地獄というのは、炎によってすべてが無に帰するというイメージですね。日本人にとって地獄の一般的なイメージは浄土教的な、針の山、血の池とか、何かいろんな遊具があるテーマパークみたいな感じですが、キリスト教は地獄は業火に焼かれて、身も魂も滅ぼされるというものです。肉体だけじゃなく、魂も無に帰するのです。無とはニヒル(nihil)という概念ですね。これが一番恐ろしい。だから地獄行きの人たちは必死で懇願、抵抗していますが、もう遅い。
この最後の審判における天秤のイメージは、もっと新しい、一見世俗的な情景を描いた絵画にも現れてきます。たとえばこれはフェルメールの《天秤を持つ女》ですが、この人は何を測っているのか。真珠のネックレスが箱から溢れているので、この女性は宝石商か何かで真珠の重さとかを測っているように見える。でも天秤の上をよく見ると、何も載っていないんですよ。何も載っていない天秤でこの人はいったい何を測っているのか。謎ですね。でも後ろの壁に掛かっている絵にヒントがあります。これは明らかに最後の審判の場面ですね。
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ダティーニというのはルネサンスの初期の人だったんですけれども、私たちに一番なじみが深いイタリア・ルネサンス、フィレンツェのような都市国家の繁栄によって支えられていました。その頃イタリアという国はないんです。今のような国民国家が成立したのは19世紀ですからね。イタリア全土が国ではなくて、商業都市が独立性を保っているんです。有力な商人とかが成り上がって、実質上その都市を支配する。有名なのはメディチ家で、今で言ったら銀行の頭取であったコジモという人ですね。この人もダティーニと同じように、自分たちの銀行業務を安定させるためには、複式簿記を正確につけていくということが極めて重要だということを理解していた人なんです。そして莫大な財産を蓄積していくんです。それは商業によってだけではなくて、お金を貸したり、両替もやります。彼の有力な取引先としては、たとえばローマ教皇、教皇庁があります。そして10万フロリンとか20万フロリンとかいう莫大な資産を作っていくのですが、その基盤は帳簿管理なんです。
10万フロリンって言われてもどんな感じの金額か、ピンとこないんですけれども、今の日本円に換算したらどれくらいでしょうね。昔の貨幣価値を想像するには何かの値段を基準にしないとしょうがないんですけれども、もっと近い時代の日本だったら、大学出の初任給とか、お米の値段とかで何となく実感できるんですが。こんな遠い時代の外国では、よくわからない。しかし、そこそこの豪邸が1000フロリンぐらいで買えたそうですから、それがたとえば今だと3億円の邸宅だとすると、10万フロリンは300億円ということになります。とにかくものすごい財産です。
コジモにはいっぱい子どもがいたんですけれども、正妻の子どもは2人か3人だったらしい。長男がピエロって人なんですけど、コジモはこの息子にはあまり会計を教えなかったらしいです。考えてみるとこれはよくあることで、自分がたたき上げで財をなしたお父さんというのは、自分の長男には自分と同じような苦労をさせたくないので、もっと高尚なことを教えたがるんですね。学歴もなく汚いこともして腕一本で成り上がった社長が、息子だけは絶対に東大に入れたいと思うようなものです。だからコジモも長男のピエロには、プラトン哲学とかギリシアの古典的学問を教えたんです。そうするとどうなるか。プラトン主義もやはりエリートカルチャーだから、会計を馬鹿にするんですよ。
弟には会計の知識を授けたらしいけど、弟はあまり長生きしなかった。この長男のピエロがメディチ家を継ぎました。その息子のロレンツォが、いわゆるイタリア・ルネサンスの最盛期を支えた人です。ロレンツォは、おじいちゃんとお父さんから莫大な資産を引き継いだけれども、財政センスのぜんぜんない人で、浪費を重ねていました。コジモのような財政の知識は途絶えてしまいます。プラトン主義も確かに幾何学、数学のような論理的思考を重んじるので、財政や会計学とは相性がいいようにも思えますが、数学にも純粋で美しい神聖な数学と、お金の計算をする卑しい数学、そういう区別はあるんですね。そういう両義性が。だからメディチ家が三世代交代していくうちに、神聖な方の数学だけが重んじられて、会計が軽んじられていく。すると現実の財政は破綻していくんですね。
ところが、キリスト教の世界にも財政の重要性を理解していた人はいました。これが最後に紹介したい人物で、商人ではなく学者のルカ・パチョーリという人です。この格好を見たらわかるように、修道僧ですね。修道僧でありながら数学者なんです。この人が会計管理の方法としての複式簿記を、それまで商人たちが経験則に基づいて使っていたのを、完全に数学的仕組みとして解明するんです。なぜ複式簿記が有効なのかということを示す『スンマ』という本を書く。スンマというのは「全部」という意味で、トマス・アクィナスの『神学大全』の「大全」という意味です。つまり「数学大全」なんです。その重要性が後世に発見されます。
しかし一般には、会計の重要性は忘れられていく。イタリア・ルネサンスで一度は頂点に達したのに、忘れられていく。続かないんですね。ただ、例外もある。たとえば、17世紀オランダです。17世紀のオランダで、さっきのパチョーリの本はオランダ語にも翻訳されて研究されたんです。この会計学によって、いわばオランダはスペインに勝つんです。スペインからの独立を獲得するんですね。オランダというのはずっとスペイン、ハプスブルク家の領土でした。1618年から48年まで、三十年戦争というのがありますね。それが終わって、1648年のウエストファリア条約でオランダが独立するんです。
オランダはスペインに苛めまくられていました。オランダはプロテスタントだからです。スペインはもちろんカトリック。スペインのオランダ支配というのは暴虐のかぎり、もうむちゃくちゃやったんですよ。金持ちをつかまえては、その場で処刑して財産を全部没収したりというような、とんでもないことを繰り返した。もう我慢の限界っていうのでオランダ人が立ち上がり、ついにはスペインに勝ったのですが、これはオランダ人が戦争に強かったからというよりも、財政の知識に支えられた強力な経済力を持っていたからなんですよ。
逆に言うと、スペインは財政を知らなかった。スペインはお金とは何かを理解せず、お金についての古い考え方に固執していました。今日の話題であるMMT(現代貨幣理論)は、お金というものが負債、つまり信用創造によって生まれるという理解に基づいています。信用貨幣論です。しかし17世紀のスペインは信用貨幣論じゃなくて、商品貨幣論でした。つまり貨幣を一種の「物」として理解していたんです。スペインは中南米を侵略して、今で言ったらアルゼンチン国境近くにあるボリビアのポトシという所に巨大な銀山を開発しました。ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病によって南米の現住民が激減したので、アフリカから黒人奴隷を買ってきて採掘させました。そこから産出する大量の銀によって、大金持ちになったわけです。
国が大金持ちになったら国力も強くなるのではないかと思うかもしれませなんが、実はそうではないんです。お金をいっぱい持っていると、何でも買えるからいいじゃないかと思うでしょう。金持ちなんだから、必要なものは外国に作らせて、安いところから買えばいいと。今の世界も基本的には同じで、これがグローバリズムの発想です。でも、国がお金持ちになって何でも安い外国から買うということをしていると、自分の国の生産力、供給能力が落ちていく。当たり前ですよね。物を作る技術も継承されないし、発展もしない。イノベーションも起こりません。つまり、スペインはもう何にも作れなくなった。そんな国になったら、戦争などで流通が止まったらひとたまりもありません。
オランダはその逆だったんです。モノとしてのお金を獲得して貯めてゆくのではなくて、お金を借りて、それをモノ作りに投資する。これが資本主義です。たとえば造船。オランダはそれによってニシン漁で大きな収益を得ました。軍艦も作りました。ある時期はヨーロッパ全体の船の何十パーセントという規模でオランダ製の船が使われました。あの小さな国が、財政の力によって、スペインのような大国を凌いだ。その基盤に会計学があったのです。会計の歴史をもっと詳しく知りたいという人は、このジェイコブ・ソールという人の書いた『帳簿の世界史』という本を読んでみてください。専門的な本ではなく、お話として面白く読めると思います。
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時間がなくなってきましたが、MMT、現代貨幣理論についてはたくさん入門書や解説書が出ているので、ここでは今までの話と密接に関係する、貨幣をどう理解するかという点だけに絞って最後にお話しします。つまりお金とはそもそも何かということです。お金はあまりにも身近で当たり前のもののように思えますが、実はいちばん近いものほど理解していないということもあるのです。私たちは、お金はあるに越したことはないと誰もが思っているかもしれません。たしかに、個人や家計にとってはそうかもしれない。それでも、あまりお金がたくさんありすぎると、それを管理・運用するのは大変になってゆくというのは想像できますね。それがもっと大きな規模になって、巨大な企業体や国家というレベルになると、個人の金銭感覚は通用しなくなります。
また、お金は身近なモノの形をとって存在するので、お金を紙幣や硬貨としてイメージする人も多いと思います。たとえばこの、渋沢栄一の新しい一万円札。これは紙ですが、私たちはまるでこの物体それ自体に価値があるように感じるじゃないですか。道に一万円札が落ちいてたら、うわっと思うじゃないですか。でもよく考えてみると、これはただの印刷された紙切れなんですね。何が、他のただの紙切れと違うのでしょう。それは、これを持っていくとある価値のものと交換できると、多くの人が信じているという点です。それではこの信用はどこから来るのか。
このお札をよく見ると「日本銀行券」と印刷してあります。つまり、これは日本銀行が発行した借用証書のようなものなのです。それが証明しているのは、日本銀行が僕から一万円借りているということです。だからもし僕が日本銀行に行ってこれを見せて、「これ借用証書です。あなたは僕から1万円借りてますね、返してください」と言ったら日本銀行の人は「わかりました」といって奥から別な一万円札を持ってきて「はい、どうぞ」と(笑)。これは半分冗談ですが、つまり貨幣というのはここではたまたま紙という形をとっているけど、その実体は、それが常に1万円相当のものと交換できるという「信用」だということです。そして「信用」が生み出されるのは、誰かが誰かからお金を借りるからなのです。つまり貨幣とは負債によって生じるということです。
MMTとはこうした貨幣観に基づいた経済の考え方です。それに対して、現在世界中の大学の経済学部で教えられている、「主流派」と呼ばれている経済学では、貨幣を特殊な商品として、つまり一種のモノとして考えます。貨幣は、物々交換が不便だったからそれを解決するために生まれたというのです。たしかに物々交換は不便でしょう。漁師が獲った魚と、山で採れた果物を交換したい。でも収穫できる季節がずれていたら交換できないでしょう。そこを貨幣が媒介して貨幣経済が始まるというのですが、このお話には根本的な問題があります。そもそも貨幣経済の前に物々交換が存在したという人類学的な証拠がありません。逆に「原始的」な社会においても信用創造による貨幣の発生を示す証拠があります。有名なヤップ島の石化「フェイ」などです。
MMTというのは新しく登場した経済理論のように考える人もいますが、その源は貨幣と資本主義についての、何世紀も前からある理解につながっています。それは、イタリア・ルネサンスを支えていた複式簿記や、17世紀オランダの発展を可能にした財政管理の考え方にも結びついているのです。しかし私たちはすぐに昔のことを忘れてしまいます。過去においても、貨幣の本質を理解して賢明な財政政策を行なった指導者や官僚たちはいました。知識とは忘却と想起の連続なんです。歴史は時間とともに進歩するのではなくて、記憶の喪失による停滞を繰り返しながら現在に至っているのだと思います。(前半部終了)